水曜日の秘密基地

好きな理由を言語化できないのが苦しい。

水曜日のダウンタウン(以下:水曜日)】が気持ち悪い程好きだ。でも何故ここまで好きなのか自分でも分からない。でも、とりあえず考えながら書き殴ってみようと思う。

まず前提として僕が面白いと思うテレビ・ラジオ番組の共通項は番組が纏っている〝前向きな自虐性〟だ。

自身の番組の置かれている状況を把握し、笑いに昇華するスタイルだ。もっと言えば開き直り、我が道を行くスタイルだ。もっと青く言えば世の中に媚びねぇスタンスだ。

例えば、【オードリーのオールナイトニッポン】では若い女性リスナーの少なさを自虐し笑いを掻っ攫っている。【勇者ああああ】、【いろはに千鳥】などの番組にも当てはまることだと思う。

【水曜日】ではどうだろうか?

松本が常々番組内で発する

「この番組はBPO(=放送倫理・番組向上機構)に狙われてる」

という言葉が正に自虐に当てはまると思う。BPOに目を付けられるということは放送内容が差別的であったりするわけで世間的には悪とされるからだ。しかし発言時の松本の嬉しそうな顔を見る限り、それが〝自信に満ちた自虐〟であると見て取れる。

 

では【水曜日】は何を持ってして他の番組と一線を画しているのか?

 

それは、〝大人の秘密基地感〟である。

番組の総合演出を務める、藤井健太郎が自著『悪意とこだわりの演出術』で

ボケっと見ていたら気がつかないかもしれないけれど、ちゃんと見たらいろいろある。気づかなくても普通には楽しめるけど、気づけば気づいた人にだけ楽しめるモノを用意しておく。そんな奥行きのようなモノは少し意識しています。

と述べているように番組内では、プロレスに精通していたら笑えるポイントやヒップホップに精通していたら頷けるポイントなどが多数散りばめられている。

例えば、番組のオープニング曲を担当しているPUNPEEがアルバムを出すことになれば、それを記念した特別なオープニング映像に差し替えられていた。

だからこそ、それに気づくことが出来れば、〝秘密基地感(=仲間意識)〟を感じることが出来るのだ。

そしてもう一つ、番組と視聴者との秘密基地感を育んでいるものが〝共犯意識〟だ。

【水曜日】には悪意に満ちたカット割りや演出が多数見受けられる。

それで笑ってしまったら最後、テレビ画面からニョキッと腕が伸びてきて胸ぐらを掴まれ、

「お前今笑ったよな? じゃあ共犯だぞ。」

と言われている感覚になる。

小学生の頃親に内緒で秘密基地を一緒に作った友達と【水曜日】が重なる。

 

話は変わらないようで変わるが、僕は藤井健太郎に憧れまくっている。テレビが大好きな学生としては憧れない方が難しいと思う。

以前、藤井健太郎が総合演出を務めた【芸人キャノンボール】という番組のオールナイト上映会&トークライブがあった。彼がゲストで登壇するということで僕は早急にチケットを購入した。

当日色々見聴きした中で強烈に印象に残っていることがある。自著は売れに売れて自身の番組にはカルト的なファンが多数いる中、全くイベントに出ないのは何故なのか尋ねられた彼が

「まぁ、人前に出て良いことなんて一つもないですからね」

と言ったのだ。なんやねん、そのスタンス。カッコよすぎるやろ。

 

イベント中彼から感じたのはどこかクールで他を必要以上に寄せ付けず、水曜日のダウンタウンをそのまま擬人化したみたいな人だなということである。

というのも、【水曜日】からもクールで、ある種冷酷な、決して視聴者に媚びない、去る者追わずのスタンスをすごく感じる。「面白くないなら見なくていいぞ。でもお前が去っても俺らはお前にはない視点・角度で毎週面白いことをやり続けていくからな」と言っているように見える。

この淡白さに僕はただの〝秘密基地感〟ではなく、〝大人の秘密基地感〟を感じるのだ。